されこうべに絡みつくのは蛇







ずいどうの夢







みをという名の女がいた。
豊満な肢体に高飛車な気性。もって生まれたものを武器に水商売で生計をたてる、田舎には不向きな女だった。
そんなみをに妻子持ちがほれ込んだ。朴訥な農家の長男で親にいわれるままに家を継ぎ嫁をもらい畑を耕してきた男だったがみをに狂った。息子の学費に娘の嫁入りにととっておいた金を湯水のごとくみをに注いだ。
それこそこの女を限りというのめり込みだったが、みをは冴えない中年が出す財布の中身は好きだったが、中年男は好きではなかった。それどころか嫌ってさえいた。
毎夜毎晩かよいつめる男に出すのは常連の倍の値段の酒につまみ。
その癖隣に座ることなく愛想のひとつも店はしない、手も握らせない。
みをは男にきがないことを露骨な態度でみせていたが、男はしんから惚れこんでいるものだから、ひどいしうちにもひねこびた力ない笑みを浮かべてへらへらとへつらうだけだ。
みをはそれが気持ち悪いとなおさら嫌う。
男は辛抱強かった。
男がみをに惚れたきっかけ、一見の客に水商売の女が見せる愛想笑いがもう一度見れることを期待して、他の客とみをの会話に耳を澄ませ、みをが欲しがっていた香水、みをがほしがった靴、みをが欲しがった時計、誕生日だと聞けばそれが毎月に一度出る話題でも、律儀に指輪にネックレスにバッグにとせっせと貢いだ。
みをは男のことは嫌っていたが男の貢ぐモノは嫌ってはいなかったので、渋面をつくりながらも受け取った。
しかしそれもさほど長くは続かなかった。
持ち出す金がなくなったのだ。男はいっぱいの水割りを飲む金すら残さずみをに注ぎこんだのだ。貢物がなくなった男にみをは見向きもしなかったし、更につけは許さなかったので男はみををひとめ垣間見るためだけにみをの出待ち入り待ちをするようになった。
金を落とさない客は客ではない。
もはや男はみをにとってはストーカーと同じだったが、男はなにをするわけではない。気色悪くはあったが散々搾り取られて文句のひとつも言えない男だ。放っておいても大事はないとその時までみをは思っていた。
みをがいつものように店の終わりに戸締りをし鍵をかけ蛍光灯の薄明かりに照らされた無用にひろくあたらしい田舎道を帰ろうとすると、男がふらりと近づいてきた。
みをの帰りを男が見送るのはいつものことだったので、みをは何もいわずに男を無視してさっさと帰ろうとした。みをが男の脇をすり抜けようとしたその時だ。男がみをに被さってきたのは。
とっさに何が起きたのかわからずなすがままにされていたみをは己に被さってきたくろい塊が男であり、そしてもみくちゃに胸を揉むのが男の腕であり、くちびるに吸いついてくる生臭いぬるぬるしたものが男の舌であることに気がつくと、一気に怒りを開放した。
ガツンと歯を噛み、舌を噛まれた男がひるんだそのすきに、思いっきり男をぶったたいた。みをからすると男は完全に格下だ。そんな相手に体中をまさぐられ、唇を奪われるというのは目がくらむほど腹だたしかった。わやくちゃにされたいきおいを返すかのようにみをは男を殴りつけ息を弾ませた。しまいにはハイヒールを脱いで殴りもした。みをの真っ赤なハイヒールのかかとが男の目の端をかすり、こめかみにがつんとぶつかった。目にぶつかっていたら失明しただろう。それほど遠慮のないぶったたきようだった。みをになぐられ男は芋虫のように頭をかかえてうずくまり、泣きながらみをの足に手を伸ばした。
「みを・・・みを・・。」
「いやだ、あたしはッ、あん、たのような!男の!手の届くッ、女じゃないんだ!汚いッ、手で触るな!」
みをはうずくまる男を容赦なく蹴り飛ばした。
しろいみをの足裏が男の首を肩の骨をガンガンと揺さぶった。男と女という力の差異があったが、男で中年でみをは若い。男が休む暇なくみをはけり続け、男はみをの足元に丸まった。
「蛆虫が!図々、しいんだ!身の程を知れ!虫けら、が!」
みをはきれいで若い女だということに誇りを持っていた。たしかに綺麗で若い女には価値があるが、みをは世間の評価のその何倍も何十倍も自分が価値のある女だと思っていた。
自分はこんな田舎で埋もれる女ではない。
いまに見ていろ、金をためたら都会に出て、いい部屋を借りて、いい男を捕まえて、雑誌に載っているようなブランドの服にバッグ、宝石のついたアクセサリーで身を飾って、モデルか女優のスカウトにあってトップまで上り詰めてやる。絶対、ぜったいだ。こんな田舎の蛆虫のような男がふれていい女じゃない。
本気で目指しているモデルの卵、女優の卵が聞けば鼻でせせらわらいそうな、そんな夢物語のようなことを本気で信じていた。
みをは若くて綺麗な女だったが、それは世間の狭い田舎では相対的にうつくしいというだけに過ぎなかった。
みをの自己評価は高すぎたが、しかし男にとってはそれは正しかった。
男はみをの夢は必ず叶うと信じていた。みをは女優になれる女だった。みをがモデルになれないのであればそれは世間がおかしいのだ。男にとってみをは女神に等しい。
どんなに性根が腐っていても、みをはキラキラと眩しい夢の女だった。
「みを・・みを・・。ごめん、ごめんよう。わざとじゃないんだゆるしてくれよう。おまえがすきなんだよう。すきなんだよう。わざとじゃない、わざとじゃないからゆるしてくれよう。」
男は哀れっぽく泣き許しをこいひたすらにみをを求めた。
闇を切り裂くけたたましいヘッドライトの一閃が携帯を鳴らすみをの前に投げ出された。
みをが呼んだ迎えだった。
「みを。」
運転席の窓からぎらぎらした指輪のはまった手をだらしなくたらし呼びかけるのは、金髪の若い男だ。その首にかかる金鎖やレトロともいえる服装仕草を見るまでもなく、あきらかにかたぎではない。みをのオトコだ。
「待ってた。」
みをはハイヒールを手に悠然とチンピラの助手席に乗り込み、うずくまる男に向かって唾を吐き捨て立ち去った。
「なんだあ、あいつは。」
「勘違いした馬鹿が絡んできたから蹴っ飛ばしてやった。」
みをを求めてなおももぞもぞとうごめく男に目をとめてチンピラが問うと、みをは鼻に皺を寄せてこたえた。 
それがいかにも嫌そうだったから、それとも自分の女に手を出されたことへの軽い意趣返しからか、チンピラは「ひいてやろうか。」といった。
「あははは、いいね。そうしてやってよ。」
みをが笑って同意すると、チンピラはアクセルの唸りをあげ、男に向かってハンドルを切ろうとした。
「ひ。」
男は怯えた。
それまでの鈍重さが嘘のようにばたばたとたちあがりへっぴり腰で逃げようとした。
「あははははは。」
車体はみをのわらいごえを巻きつけて男へと迫った。紙一重で鼻先をかする車に怯えた男の顔に「しねよ」とみをは驕慢に笑った。




しばらくして男は死んだ。
妻子持ちの冴えない中年は橋桁で首をくくった。
狭い田舎のことだもの噂は即座に流れたし、みをのこともとりざたされた。
ばつが悪くはあったがみをは悪びれなかった。
男は勝手に死んだのだ。みをがてをくだしたわけではない。
男が死んだのは男が弱かったからでみをのせいではない。
みをは男に死ねとはいったが首をくくれとはいっていない。
男がみをに身代を注ぎ込んだのは男がそうしたかったからだ。みをがそうしろといってはいない。
男がみをに様々なものを貢いだのは男が勝手にしたからだ。男が子どもの学費を使い込んだのも、娘の嫁入り費用を使い込んだのも全部男がしたことだ。みをには関係ない。
みをは悪くない。



そして、みをも消えた。
みをは奔放なさがだったからどぞこのならず者と駆け落ちでもしたのだろうと思われていた。
あるいはあまりの噂にたえかねてみをの親がどこか遠くに娘をやったのだともいわれていた。
だがそうではなかった。
そうではないことがわかったのは初夏で、田植えにはいる少し前だった。
すくすく育った苗がよわよわしい黄緑から目にまぶしい緑へと変わっていく頃、田に水を張るタイミングを計ろうとしたあるものが、水を引く水路の奥に異変を見つけた。
村の多くのものの田を潤す共同水路はめったなことで枯れないようにしっかりしたつくりにしてあった。
深さは一メートル。
高さは十メートル、流れがはやく掘り込んで、めったなものが立ち入らぬよう上から蓋をしてあった。
水路の確認のために蓋をはずし覗き込んでいたものは奥になにやら見慣れないものをみつけた。
何かが水流を遮っているのだ
それはぼんやりとしたしろいもので、はじめなにか獣でも入り込んでいるのかとそのものは思った。あるいは誰かが捨てたビニール袋でも引っかかっているのか、それとも木の枝かしらんと。
しかしそれは獣ではなく、ましてやビニール袋でもなかった。勿論木の枝でも。
物好きにも順繰りに水路の蓋をもちあげ、視認する障害となるものを取り除いたものは気づいた。
さあっと薄暗い水路にひかりが満ちた瞬間、銀鱗が水脈をひいた。
水の流れに尾をくねらせたのは白く細長い腹。
なんだ、蛇かと肩を降ろしかけ、気づいた事実に息を呑んだ。
蛇は水に泳ぐもの、流れのある水路の中で一箇所にとどまり続けるのは奇妙だ。
蛇が尾をゆらゆらとゆらす水の中、その止まり木となっているそのものに目を凝らすと明かりの中に浮き上がるものがある。それは人骨だった。
髄道のおく、されこうべに絡みつくのは蛇。
愛しい愛しいといわんばかりにその身をしっかりと絡ませていた。
「ひ・・。」
「ひいいいい。」
人間はその正体がわかるや悲鳴をあげ地上へと飛び退ったが、見出された蛇はそちらに構うことなくゆったりとその鎌首をされこうべに巻きつけた。



結論から言えばそのされこうべこそがみをだった。
男が首をつって一年。
みをが姿を消してから十一ヶ月。
十一ヶ月でみをは白骨になってみつかった。
頭蓋骨以外の首から下も同じ水路で見つかった。だがそれは水流に任せれば頭蓋骨が流されて下流にあるほうがなっとくできるのに何故だかはるか下流で水路の終わり、川へと流れ込む流れを選別する鉄柵に絡むようにして見つかった。殺して捨てられたのだとか、自ら死を選んだのだとか噂は口々に伝わったが詳細は不明のまま、遺骨は両親の元に返された。何故みをがそんな所でされこうべを晒すことになったのかその理由は未だわかっていない。
ただ、髄道のなか水尾に鱗を光らせる蛇だけがなにごとかを知っている。



04.12.29 冬木精一










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